長男の出産は喜ぶ暇もなく激痛に襲われる

長男の分娩の時のネタだ。当時19年代の僕は何も無知でした。おめでた当事者も厄介ばっかりして、買物や見物の通常!最近となればありえない件ばっかりでしたね(-。-;
そんなことばかりの人生のせいか…
6カ月あたりから、胃腸のはりが続きました。 健診の時に、子宮頚管が少なくなってることが行き渡り、即入院。
そうしてウテメリンの毎日がはじまりました。 療養は、考え日まで!長かっただ。。
泣いたり苛苛したりの通常でした。 入浴もご法度の無理強い落ち着きでしたから。そんなふうになってしまい、後悔って懺悔の療養でした。
日付がたち、とうとう退院☆
ヤッター? 退院は、考え日のきのうでした。 返ることに、ちょこっと不安もありましたが、凄い、ものすごーく!嬉しかったのを覚えています(^^)
帰宅した日の夜…
軽々しい痛苦で視線を覚まし、便所に行くって おシンボル!?
直ちに病棟に電話をしました。そうしてまた病棟へ。
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ようやく分娩!情緒を入れて向かいました。いまだに子宮口は2センチくらいしか開いて無く、帰宅しても良いとのことでしたが、初めての分娩だし不安もあったので、帰りませんでした。陣痛も微妙でなかなか進みませんでした。僕は室内をしげしげとウロウロしていました。いつしか夜になり、これから陣痛が本格的になりLDR室に入りました。なんとも言えない痛苦!!!あとはそれほど覚えていませんが、お産客席に乗じるのが辛かっただ。
最も苦しかっただ。 そうしてせっかく、3190グラムの男児幕開け☆
ただし…喜んでいる暇もなく、産後1時間あとあたりに、子宮と腰に激痛!共に多量出血。だんだんと注視が遠のいて出向くのがわかりました。死ぬのかな…そんなにおもいました。寝ちゃNO!視線を開けなさい!医者の見解がきこえる…心臓マッサージ!!そこまで聞こえ、後はわかりません。
僕が視線を覚ましたのは4日あとでした。 貴重なキャリア!
とっても分娩て、必死だ。
あれから今は4人の婦人だ☆

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